熱意がない
今日、あるボランティア団体を率いる女性にインタビューをした。
すでに80歳近い年齢なのに、年に数回は途上国へ向かうような女性だった。
そういえば、世の中、ボランティア・ブームなのだろうか。
『行列のできるなんとか相談所』というTV番組では、有名人が書いた絵をオークションにかけて、その収益金でカンボジアに学校をつくる活動をやってる。
実際には、誰でも手軽に数千円単位でボランティア団体のスポンサーになれるし、ボランティア団体にマイレージを寄付できるアメリカ系の航空会社もある。興味のある人は、どうぞ。
って、話が脱線してしまった。
そのスーパーな女性の話である。
彼女は、若い頃からボランティア活動をやってみたかったそうだが、仕事のキャリアを積み、子育てをし、親の介護を終えたら、すでに60歳になっていたそうだ。
そこで引退して楽な老後を送ろう、と考えないのが、その女性らしいところ。ちょうどイラクで湾岸危機があり、彼女は私財を使って中東に向かう。最初はまったくの素人だったのだが、できることからはじめて、徐々に、というより、どんどんボランティアのノウハウを吸収していき、3年後には自分の団体を立ち上げてしまった。その方が有名な文筆家で顔が広く、周囲に金銭的にも社会的にも力のある人がいたからできたことなのだろう。
「おまえは熱意がないのか」
学生の頃に、僕は周囲の人から何度かそう言われた。学校があまり好きになれず、団体行動も得意ではなかったので、そういうふうに見られるのはわからないでもなかった。
でも、内心はとても嫌だったのを覚えている。迷っていたり、何を自分がやればいいのかがよくわからないだけだったからだ。学校や親に与えられたことに夢中になれる連中がうらやましくもあった。
若い時は「熱意」という言葉の意味が、正確にはわからなかった気がする。あるのは「気持ち」や「思い」そのものであり、「熱意」なんていう言葉が陳腐なほどに、いろんな感情があった。
ただ、今日インタビューしたスーパーな女性を見て、「熱意」という言葉は、こういう人にこそ当てはまる言葉なのだと思えた。ボランティア活動からイメージする、「苦労」とか「大変」だとかいう雰囲気を出さず、楽しそうにさえ見えたからかもしれない(実際には、大変なのだろうが、ボランティア団体で活躍する人たちには、それを周囲に見せない強さがある)。
「熱意」という言葉は、「迷いがない」という状態のことを言うのかもしれない。
そして、若い時よりも、年を取ってからの方が、生きていくのに「熱意」が必要になるんじゃないだろうか。そんなふうに思えるインタビューだった。


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